トップイメージ

野茂英雄

野茂英雄は男の魅力で女を口説く!

高校2年生で達成した完全試合の投球内容は内野ゴロ13、内野フライ2、外野フライ2、三振10、104球。「打たせて取る」投球だった。

名門野球部に進んでいたら、フォーム矯正によりトルネード投法をやめさせられた可能性があるため、今の野茂はなかったと言われる。

プロ初奪三振は初登板・初先発の1990年4月10日対西武戦(藤井寺)。1回表、4番・清原和博から。1番・辻発彦が四球、2番・平野謙のバント処理を誤り一・二塁、3番・秋山幸二も四球で無死満塁の大ピンチだった。

1991年のオールスターゲームで、全パの秋山幸二が自打球により負傷退場し、他に野手が残っていなかったため、代打で出場したことがある。

結果は見逃し三振だった(既に秋山が2ストライクを取られていたために記録上は秋山の三振である)。

この時、オリックス・ブルーウェーブのヘルメットをかぶって打席に立った。

近鉄時代に、同期入団の石井浩郎や、金村義明以外の野手とは基本的に仲が良くなかったと言われる。

フォームが通常とは違うため守備側もタイミングが取りづらいこと、コントロールが悪く球数が多いために守っている時間が長く、四球を連発する野茂に野手が反感を持っていたためだとされる。

実際、野茂がランナーを出した際に、間合いを取ったり、アドバイスを送ろうとマウンドに駆け寄る者は捕手以外では石井浩郎しかおらず、スタンドのファンから見ても野茂はチーム内で孤立していた。

また、金村も現役時代、三塁の守備についてて野茂に四球を連発された際「こんなにフォアボールが多くては…守っている人間のことも考えてくれないと…」と苦言を評したこともある。

ドジャース入団1年目に大リーグの伝統「新人への洗礼」を受けている。

チームメイトが新人歓迎の意味でちょっとした悪戯を仕掛けるものだが、野茂も夏場ロッカーにしまったスーツを毛皮の服にすり替えられたり(結局その格好で移動の飛行機に乗った)、シカゴにある南北戦争の英雄リー将軍の銅像の馬の急所に、先輩選手に誘われチームカラーの青のペンキを塗りに行き、後日警察に検挙されそうになったり(実はこれもチームメイトが仕組んだ)、少々手荒い、しかし温かい歓迎を受けた。野茂は後に「あれでチームの一員になったと実感した」と語っている。

古巣近鉄がヤクルトと対戦した2001年の日本シリーズ第5戦の中継でゲストとして出演したが、たびたび配球を読み当てるなど的確な発言で「さすが野茂」と見る者を唸らせた。

実況に「野茂さんから見てローズ選手や中村紀洋選手の2001年版いてまえ打線の印象はどうですか?」と聞かれ、「僕がいた時はブライアントや石井さん、鈴木さん、金村さんがいましたけど、あの時と、まぁメンバーはもう全然変わってますけど、構成も似てますし、近鉄は変わってないですね」と笑ってコメントした。

メジャーリーグで最初のノーヒットノーラン(ロッキーズ戦)では試合前の雨のせいでマウンドがぬかるんだため、試合の途中からランナーがいなくてもセットポジションで投げ、制球安定につながった。

ゲイリー・シェフィールドに対して、天敵といっていいほど相性が悪く、カモにされていた(対戦成績は35打数17安打、対戦打率.486、4本塁打、13打点、9四球、6盗塁)。反面、チッパー・ジョーンズには相性がよく、天敵としてカモにしていた(対戦成績35打数2安打、打率.057、0本塁打、1打点、6四球、9三振)。

日米通算200勝を達成し名球会入りの権利を得たが、「今は返事をする必要がないと思う」として態度を保留している。

アメリカの独立リーグ・ノース・イーストリーグのエルマイラ・パイオニアーズを元近鉄の佐野重樹らと運営している。

マスコミに対する態度やインタビュー、鈴木監督との確執、メジャーリーグ移籍騒動というイメージから無口で無愛想に見られがちだが、実は明るくよく喋る性格である。

友人である木田優夫を通じて出演する明石家さんまの番組でも知ることができる。

「さんまのまんま」出演時、野球教室にさんまがノーギャラで駆けつけることを約束したが、未だに果たせていないことを木田を通じて何度もさんまにアプローチしている。

佐野重樹、吉井理人、赤堀元之、金村義明など近鉄時代のチームメイトとは今も交流が続いており、チャリティーなど野茂が主催する会合には電話1本、ノーギャラで駆けつける間柄である。

アマチュア時代には潮崎哲也と親交が深かった。ソウル五輪に出場した際には、選手村でどこで何をするのも2人一緒であったという。

石橋貴明との友情も有名で、野茂が作詞した「nothing around」はとんねるずのアルバム『おまえ百までわしゃ九十九まで』に収録されている。

とんねるずがメインを務めた人気テレビ番組とんねるずのみなさんのおかげです内の人気コーナー「モジモジ君」にもゲストとして出演したことがある(コーナー内の役名は「モジ茂」。

コーナーの主旨どおり全身タイツ姿で登場している)。

とんねるずのみなさんのおかげでしたでは「食わず嫌い王」内で石橋が「俺の年収を超えたら奢らせてやる」と昔から約束しているものの、メジャーに行っても奢らせていないことを明かした。

大食いでも有名で好物は寿司である。新人時代、当時解説者だった佐々木恭介に連れられて高級すし屋に行き、一人で寿司100カンを食べて佐々木を仰天させたことがある。

新人王を獲得した1990年、仰木彬監督とすし屋に行った際には、トロとウニを際限なく注文したという話も残っている。

近鉄時代の同僚・金村義明が「野茂の趣味はファミコン」と言っていた。競馬も趣味の一つであるため、ダービースタリオンが大好きで、徹夜で馬を育てて妻に怒られたこともある。彼に競馬を教えたのは吉井理人で、野茂はその見返りにフォークを教えたという。

セガサターンのゲームソフト『プロ野球チームをつくろう!』(1998年2月19日)の監修を手がけている。

この作品ではFAの資格が3年でとれるようになっているが、野茂の発案である。なお、同作の前々年に発売された『野茂英雄ワールドシリーズ ベースボール』(セガサターン、1995年11月17日発売)『野茂英雄のワールドシリーズベースボール』(ゲームギア、1995年12月1日発売)は、名前が冠されただけで製作及び監修に一切関わっていない。

日本野球時代に選手たちとハワイへ旅行に行くたび、体格が大きいので警備に止められる。「僕は投手です」と答えると、「では投げる真似をしてみろ」と言われ、トルネード投法を披露すると、「お前、嘘だろ!」と言われたことが何度かあったという。

「英雄」という名は父が村田英雄の大ファンであったことから付けられた。

シンガーソングライターである井上陽水は、自らが作詞作曲歌唱した『英雄』という楽曲について、野茂をイメージして制作したと発言している。歌詞を見ても「アメリカンサマー 夢のブルー」「きっとあなたはロビンソン」など、メジャーリーグという未知の舞台で活躍した野茂への賛辞が読み取れる。

佐野元春のファンである。佐野元春は、自らのライブで客席にいた野茂を紹介し、野茂もそれに立ち上がって応えた。

(しかし佐野は野茂を紹介する時に「野茂ヒデキくんです!」と名前を間違ってしまった)また出演した住友生命のCMでは佐野の曲である「経験の唄」を使用している。

参考:フリー百科事典「wikipedia」

野茂英雄

サイトMENU

Copyright (C) 2008 Wao Blog. All Rights Reserved.