トップイメージ

筑紫哲也

最近のニュースに言いたい。筑紫さんみたいにはっきりいってよ!ニュース!!

ハイライトとマルボロの赤を1日3箱吸っていたというヘビースモーカーだった。

肺がんになって禁煙した後も、「一服できないと面白くない」、「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。

(たばこは)人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。

これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」「がんの原因はストレスで、たばこはきっかけにすぎない」と怯まなかった。

『日曜夕刊!こちらデスク』の司会者を務めていた頃、“宇宙人と交信しました”というウソのニュースを伝えた。

伝えた日は1979年4月1日。ちょうどウソをついてもいい日だからということで伝え、すぐ「ウソです。」と言ったが、直後に抗議の電話が殺到。

生放送中に抗議の電話に応対する事となった。

此の模様は後に新聞で取り上げられた。後にこのニュースはフジテレビの「トリビアの泉」で紹介された。

久米宏とは平日夜のニュース番組の視聴率を激しく争ったが「広島東洋カープのファン」という共通点があったため、日刊スポーツの企画で1991年の西武ライオンズとの日本シリーズを仲良く観戦した。

TBSと専属契約を結んでおり、原則としてTBS系列の放送局以外でのTV出演はしなかった。

ただし、フジテレビの番組・トリビアの泉にVTRで出演したり、年に1回テレビ朝日の特番にゲスト出演していた。

2002年5月21日に、母校の早稲田大学で行われた早大創立125周年と野口雨情生誕120年を記念するすがはらやすのりのコンサートで、野口雨情の孫・不二子と対面した。

2003年4月10日に福岡ドームで井上陽水・武田鉄矢らが中心となって開催されたコンサート「ドリームライブ in 福岡ドーム」のオープニングで「多事争論」の収録を行ったが、その時カメラマンを務めたのは南こうせつだった。

しかし「福岡ドーム」と言うべきところを間違って「東京ドーム」と言ってしまい、南こうせつからそれを指摘されていた。

2003年の自民党総裁選では「小泉圧倒的有利」の分析を討論の前に行ったところ、当時、自民党の有力者だった亀井静香は「ツクシさんね?。」と筑紫の事を呼び間違えた。

さらに同年の総選挙の際には日本道路公団民営化について「玉虫色の結果になったと言われていますが…。」という発言をし、総理小泉純一郎が激しく抗議すると筑紫は「いや、ですから…。」と言い、当時、民主党代表だった菅直人が仲裁に入った。

2004年5月13日放送分の『NEWS23』で、自身の年金未納(1989年から92年6月までの2年11か月)を謝罪し、翌日から一時番組の出演を見合わせた。

2005年9月11日、TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、メインアンカーとして参加し、元『ニュースステーション』の久米宏と実に14年ぶりの共演となった。「乱!総選挙2005」の視聴率は、民放で第1位だった。

東京都立小山台高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。

在学中は合唱団「グリークラブ」に所属。

朝日新聞社に入社後は政治部記者、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任。政治部時代には内閣総理大臣三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派の人脈と親交を深めた。

朝日新聞外報部デスクとして「さて今週は、閑話・徹子と記者クラブ」(1977年11月6日放送)にゲスト出演した後、1978年4月から1982年9月まで「日曜夕刊!こちらデスク」のメインキャスターを務めた。同時期、朝日新聞社のCMでタモリと共演した。

1984年から1987年まで、雑誌『朝日ジャーナル』の編集長を務めた。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」の連載で、当時の若者のリーダーたちにインタビューし、対談を通じて時代の気分を探ろう・表し出そうと試みた。

この連載で新人類なる言葉を世に広めた(新・人類の意と新人の類の意)。

シリーズ「日常からの疑問 こんなものいらない」の代表記事は『現代無用物事典』および『こんなものいらない事典』(いずれも新潮社)として出版され、話題を呼んだ。

1989年10月から、TBSのニュース番組『筑紫哲也 NEWS23』(現・NEWS23)のメインキャスターを務める。

評論(特にコラムコーナー「多事争論」)が人気を集める。

彼のジャーナリストとしての社会的な発言には、毀誉褒貶・賛否両論あったが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、以降は『ニュースステーション』のキャスター・久米宏と並び民放ニュースキャスターの顔として広く認知された。ウォルター・クロンカイトを尊敬しており、クロンカイトに倣って『NEWS23』のエンディングでは決め台詞「―では、今日はこんなところです。」を使用していた。

1992年12月30日から1993年1月1日まで「元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ」の総合司会を担当。

1995年のいわゆる「TBSビデオ問題」(TBSのワイドショー『3時にあいましょう』のスタッフがオウム真理教幹部に坂本堤へのインタビュー映像を事前に視聴させた事実が発覚。坂本堤弁護士一家殺害事件の一因であるとして、TBSへの非難が集中した)では、『NEWS23』でTBSの対応に疑問を呈し続けた。

TBS社長が過ちを認めた1996年3月25日の「多事争論」で「TBSは死んだに等しい」と発言し激しく批判した。「身内に甘い」と評されるテレビ業界にあって、筑紫の一貫した報道姿勢は高く評価された。

出身地・日田市の市民大学自由の森大学の学長(1994年から2006年)、雑誌「週刊金曜日」の編集委員、創価学会と関係の深いの雑誌『潮』による「潮賞」の「ノンフィクション部門」選考委員も務めていた。

2007年5月14日放送の『NEWS23』で初期の肺癌であることを告白、治療に専念するため『NEWS23』への出演を一時休業した。同年10月8日には休業後初めて番組に復帰。以降はスペシャルアンカーとして数ヶ月おきに番組へ出演。

2008年に「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞。

2008年11月7日午後、肺がんのため東京都内の病院で死去した[2]。報道番組同士のライバル関係にあった久米宏、古舘伊知郎らが自らの番組でその死を悼んだ[3][4]ほか、追悼特別番組が放送されるなどその死は大きく報じられた。

法名は無量院釋哲也。 2008年12月19日東京都内のホテルで別れの会が行われた。

元早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(専任扱い)。元立命館大学客員教授。血液型A型。

参考:フリー百科事典「wikipedia」

サイトMENU

Copyright (C) 2008 Wao Blog. All Rights Reserved.